腐るのは誰のせい?



学問でも実践でもそうですが、特定の権威に結びついた途端に腐りやすくなります。

理由は簡単で、権威者の周囲にいる人たちが思考停止状態に陥るからです。

学問や実践が特定の権威に結びつくと、権威によってその妥当性が担保されたと錯覚してしまい、各自が前提にまで立ち返えって思考することを暗黙のうちに禁じ手にしてしまう。

ということは、学問や実践が腐る理由は特定の権威に求めることができるのでしょうか?

実のところこの問題は、そう簡単な話ではないんですよ。




なぜなら、権威が成立する条件の1つに「相互承認」があるからです(ということを明瞭にしたのはルソーです。ありがとう!ルソー)。

つまり、権威は一般に承認されることによって成りたちうるため、腐る理由を権威に求めることはすなわち自らの問題に帰する可能性を呼びこむことになるんです。

だから、もし権威によって学問や実践が腐ってきたと思ったら、まずは「自らがそれに加担していないかどうか」を批判的に内省する必要があります。

そうした内省を経由していない権威批判は、ドロボー同士で罪をなすりつけあっているようなもので、ちょっぴりカッコ悪いのです。

逆に言えば、内省を経由したうえでの権威批判は、そこそこのパワーとカッコよさを合わせ持ったものになりうると考えておくとよいでしょうね。