対立軸よりもメタ性を強調する



信念対立研究していると、新機軸を打ち出すにあたっては、既存の理論と実践との対立軸を強調するよりも、新機軸の包括性を強調したほうがスムースに受け入れられるだろう、と感じることがままあります。

例えば、頻度主義とベイズ主義。

ちょー簡単に解説すると以下のような感じ。

頻度主義は、従来からある人口に膾炙した統計学の哲学的基盤です。

頻度主義では、データは確率変数であるものの、母数は定数であると捉えます。

他方、ベイズ主義は、ベイズモデルとか階層ベイズモデルといった新しい統計学の哲学的基盤です。

ベイズ主義では、データは定数であるものの、母数は確率変数であると捉えることになります。

つまり、頻度主義では手元にあるデータが確率的に変化するもののそこから推測できる真値は固定値であると考えるのに対して、ベイズ主義では手元にあるデータはすでに存在してしまっているので固定値であるもののそこから推測できる真値は確率的に変化するよね、と考えるわけです。

ベイズ主義が台頭しつつあったころは頻度主義とベイズ主義の対立軸を強調するような解説が多く、どちらが正しいのかをめぐって信念対立が生じていたと思います。

最近では、ベイズ主義を基礎にしたベイズモデルや階層ベイズモデルは、頻度主義を基礎にした従来の統計学でできることはぜんぶできるし、むしろめっちゃ柔軟なので従来の統計学では不可能だったこともできるよ、というように、頻度主義とベイズ主義のあいだで信念対立の構造が成立しない論じ方にシフトしつつあると思います。

これは、新機軸のメタ性を鮮明に打ち出した説明の仕方でしょう。

こーゆー論じ方は、ぼくたちの領域でも応用することができます。




例えば、臨床教育でいえば、従来の症例基盤型実習とクリニカルクラークシップの対立軸があると感じています。

従来の症例基盤型実習は、無資格の学生が診療行為を行うことがあったために法律違反とリスク増大の可能性が大きいです。

だから、これはほんとーに早く改善しないとやばい。

そーゆー問題点がハッキリあるからこそ、それを改善するクリニカルクラークシップへのシフトチェンジが強く望まれるわけです。

他方、問題点が明瞭であるがゆえに、それの指摘に力点が過剰におかれてしまい、結果として対立軸の強調という論じ方に陥ることがあるだろうと思います。

新機軸の意義を伝えるために、あえて従来の理論や実践との対立軸を強調するのは妥当な戦略です。

が、これが奏効するのは初期段階に限られるでしょう。

普及段階になると、対立軸を強調する論じ方を変えないと、既存の勢力からの抵抗を産み出すことになりかえって普及が遅れることにもなりかねません。

いろんな重大な問題がありつつも、何十年も習慣的に行われてきたからこそ、そのシステムを否定するとポンっと飛躍を生みだして、自身を否定されたという感度を生みだしやすいからです。

ですから、クリニカルクラークシップを解説するときは、1)従来の症例基盤型実習の根本問題を明確にする、2)クリニカルクラークシップは従来の症例基盤型実習の問題点をきれいに抜きとれると説明する、3)そのうえで、クリニカルクラークシップは従来の症例基盤型実習で達成したかった目標も達成できるし、逆に従来のそれでは達成できなかった目標もこの方法ならば達成できると説明する、というようにメタ性を意識したものにするとよいだろう、とぼくは考えています。

頻度主義とベイズ主義の論じ方の変化を感じつつ、われわれの領域もそれをヒントにより良いシステムへの移行をスムースにしていけたらよいのになぁと思いました。