過度に意識してもあまり意味がないこと



結論を言うと、それは「他者評価」です。

自分の心が自分のものであように、他人の心は他人のものであり、過度に気にしたってどうすることもできないからです。

どうしようもないことにリソースを投入するのは、無駄の極みです。

他者評価を意識するあまり、しんどくなるのはもったいないです。

人生は短いんですから、もっと別のことにリソースを投下したほうが何ぼか建設的です。

苦しむことが趣味で楽しいなら別ですが、他者評価を意識しすぎてしんどいならやめちまったほうが良いです。

なので、ぼくたちはさしあたり、自分なりの物差しで価値を図りながら生きていく方が良いのです。


もちろんこれは、他者評価を無視して良いという意味では全くありません。

そんなことしたら、言動がめちゃくちゃになって、シャバで過ごせなくなるはずです。

信念対立解明アプローチを唱導するぼくが、そんなへっぽこ独我論を主張するわけない。




せめて壁の上を歩けるぐらいのバランス感覚は残したほうが良いです。

他者評価を過度に意識しないとは、心の基底では他者の眼差しを感じつつも、それに心が煩わされることなく、自分なりの規範を持って生きるということです。

自己評価と他者評価のハザマで生きると言ったら良いんでしょうか。

ぼくたちが心楽しく生きるには、そういうバランス感覚が必要です。


基底では他者評価を感じとりつつも、それに縛られることなく、あるがままに生きること。

ぼくはそういう生き方を人は成熟と呼ぶのではないかと感じています。
え?

偉そうに講釈たれてるお前はどうなんだって?

ぼくはここで書いたよりも、実際はもうちょい自分勝手でわがままな生き方よりかな、笑。

いいんですよ、心楽しければ首尾一貫した生き方じゃなくても。